Monday, October 22, 2012

夜回り先生こと水谷修氏vsハシシタ


若者たちから「夜回り」と呼ばれている深夜の繁華街のパトロールを通して、多くの若者たちとふれあい、彼らの非行防止と更生に取り組んでいる教師がいる。「夜回り先生」こと水谷修氏だ。

現在、水谷氏は、花園大学及び関西大学客員教授であるとともに、現場での経験をもとに、専門誌や新聞、雑誌への執筆、テレビ、ラジオなどへの出演、日本各地での講演などを通して、子どもたちが今直面している様々な問題について訴えている。 

そんな「夜回り先生」が現在困っていることがある。自民党を離党して「維新の会」に移った松波健太議員の選挙用のポスターに写真を無断使用されて非常に困っているとブログに書かれていた。なぜ迷惑かというと、水谷氏の教育感と「維新の会」の教育感があまりにも違いすぎるからだ。

水谷氏が昨日のブログにも書かれているように、水谷氏は、「人は、本来よい存在だから、間違えたことをするのは、その人がきちんと育てられていないから。教育されていないからと考える性善説の立場に立たれている。それとは対照的に、橋下氏のこれまでの発言からもわかるように、「維新の会」というのは、本来悪い存在だから、きちんと法によって規制し、罰を与え、指導をしないと、大変なことになるという性悪説の立場に立っている。

そんな相反する立場の政党に属する議員と一緒に撮った写真を次期選挙のために利用されたら、これまで実践してきた活動や自分の教育理念を覆され、自分の支持者からは誤解を受け、信用を失ってしまうのは明らかであり、水谷氏が憤慨するのも当然のことだろう。

『夜回り先生からの近況報告』より

今、事務所に戻りました。

2012年10月21日
私のホームページにたくさんの人が訪れているようです。その理由は、私が先日書いた、松波議員や維新の会、橋下市長に対するブログが原因のようです。苦笑いしています。
私の教育に対する想いを少し書いておきます。
教育は、人と人とが直接ふれあう中で行われる営みです。そこには、信頼関係がなければなりません。文科省が各教育委員会を信じ、教育委員会が各校長を信じ、校長が教員を信じ、親や子どもたちが、教員を信じる。これを原点として、教育は始まります。しかし、今、教育の世界には、この信頼関係が損なわれています。私は、それを憂います。教員がしっかりしていないから、いい加減だから、信じない。そう言う人もたくさんいます。でも、そんな人たちには、近くの学校を見てほしい。昼多くの子どもたちと、きちんと触れあっている多くの教員を・・・。夜八時、九時まで、明かりの消えることのない職員室を。
世の中には、性善説と性悪説があります。人は、本来よい存在だから、間違えたことをするのは、その人がきちんと育てられていないから。教育されていないからと考える説と、人は、本来悪い存在だから、きちんと法によって規制し、罰を与え、指導をしないと、大変なことになる。ここには、たくさんの子どもたちが来ますから、簡単に説明すれば、こうなるでしょう。
私は、今まで、そしてこれからも、性善説の立場で生きていきます。人を疑って、人との出会いをなくしたり、人を傷つけるより、信じてだまされるほうが、私にとってはましです。これは、私だけでなく、教育に関わる多くの人が、子どもたちに対して抱いている気持ちです。子どもや、教育の体制を変えて行くには、時間がかかりますが、でも、私は、そうして子どもたちと生き合ってきました。もし、私が、性悪説の立場に立って、子どもたちを厳しく管理し、そして処分していたら・・・。そう考えるだけで、寒気がします。
(後略) 

そんな折、先日の朝日グループバッシングだけでは飽き足らない「ハシシタ」が、今度は、夜回り先生に食ってかかり始めたのだ。

「ハシシタ」は、「子供のことを想っているのはお互いに同じ」などと抜かしているが、18歳になるかならないかの少年が、殺人事件を犯した「山口県光市母子殺害事件」が起きたとき、加害者の少年への過剰な少年バッシングに警告を放ち、真相を究めようと立ち上がった22人の弁護士からなる被告弁護団への懲戒請求をテレビで訴えたのが、この「ハシシタ」だったことを私は忘れない。

加害者にも人権はあり、弁護士をつける権利もある。「ハシシタ」は、事件で全てを失ったこの加害者のそんな唯一の権利さえも奪おうとした卑しい男だ。「ハシシタ」が想っているのは、自分の子供のことだけで、他人の子供のことなどなんとも想っていないのだ。

つまり、恵まれない家庭環境が一因で、殺害事件を起こしたこの少年を根っからの性悪者とみなし、彼を庇おうとしていた弁護士たちを批判し、懲戒処分にすることで、この加害者の少年を死刑へと導くのに加担したのは、まぎれもない「ハシシタ」だったのだ。

性善説の立場に立つ水谷氏が、「ハシシタ」のような性悪説の立場に立つ男が率いる政党の議員と写真を撮ったということは、政界ではタブーとされている政治家がヤクザと一緒に写真を撮るようなものだ。それをポスターにされたのだから、憤慨するのも当然である。

「維新の会」は自分たちの私利私欲、名誉、カネのために子供の教育さえも利用しようとしているということを「夜回り先生」は気づいているのだ。




参考資料:

「夜回り先生」の講演: 



夜回り先生 マサフミの死 闘いの始まり1




上の講演でのエピソードがドラマ化:



水谷修(夜回り先生) ①




「維新の議員に無断で写真を使われた」ことに怒った夜回り先生(水谷修氏)に対する橋下徹大阪市長のツイート


  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 夜回り先生こと水谷氏が日本維新の会の教育政策に意見を出してくれていますが、真正面から教育政策論をやっていきたいですね。僕たちは子どもの事を考えて、政策実行しています。子どもの事を想っているのはお互いに同じ。ただその実行方法が違うのでしょう
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl  僕も日本維新の会も子どもたちの事を想って政策展開している人もかかわらず、その政策を真正面から議論せずに、橋下や日本維新の会は子どものことを想っていないと決めつけるのは、全く政策論になっていない。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 水谷氏は大阪の教育改革について反対なのであろうが、それならどの点がどのように反対なのかを政策論として展開すべきだ。水谷氏は、市長にまずは学校を回れ、子どもと話せと言う。教師上がりの教育の専門家に、このようなことを言う人が多い。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl  社会は役割分担だ。学校を回るのは、教育実践者だ。子どもと話すのも、現場の教員が原則だ。市長や知事は、教育行政の枠組み作りと、財源を確保しての予算の確保。巨大な教育行政を動かしていくのが、市長、知事の役割だということを認識して欲しい。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl  学校を回ることも重要だが、これは教育行政の十分条件ではない。学校を回るだけでは教育行政の予算は確保できない。予算を確保するためには市政全般で相当な改革が必要になる。これは教育実践者ではできない。市長と現場の実践者の役割は違う。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 橋下や日本維新の会の教育政策について問題点があるなら、真正面から教育政策論議をすべきだ。僕にも7人の子どもがいる。その子供たち世代のことを想って政策を実行している。政策の中身や実行方法でおかしいところがあるなら、そこを指摘すべきだ。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 水谷氏は学校を回っている自分だけが子どもの事を想っていると錯覚している。そして学校を回ることだけが全ての解だと独善的になっている。そのことを否定はしないが、それが全てではない。学校を回ることは必要だろうが、それで全てが解決するわけではない
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 水谷氏は水谷氏の役割でやれば良い。市長には市長の役割がある。それを前提に政策論を展開すべき。政策論もせずに、面識のない他人について、あいつは子どもの事を想っていないと決めつける考えは子どもにとって悪影響。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 水谷氏のような大人に、指導を受ける子どもが、どのような大人になるのか心配だ。決めつけは絶対に良くない。議論をしてからロジックに結論を導く。これが成熟した民主国家において必要な教育。水谷氏は、完全に決め付け型。まさに佐野に近い。
  • t_ishin
    そうです。市長が学校を回る役割ではありません。役割分担です。水谷氏は教師出身ですから組織というものが分かっていないのでしょう。 また自分がやっていることが全てと思っているようですRT @metabolicoyaji: 何事も役割分担を明確にして自分のPartを全力で実践すればいい
  • t_ishin
    今の日本の教育がダメダメだと言われて一向に光が見えないのは、教育評論家、専門家の質によるところが大きい。ほとんどの教育評論家、専門家は、教師出身者。教師個人の力だけで、教育は良くなると思っている。教師を個人商店的に捉えている。教育委員にもそのような考えの人が多い。
  • t_ishin
    しかし、個々の教員の教育実践も、実は教育行政システムに乗っかっている。このシステムが悪ければ、個々の教育実践もうまく進まない。個々の教育実践は、現場の先生にお任せする。しかしその根っこの教育行政システムの構築は政治・行政の役割で、僕の領域だ。
  • t_ishin
    夜回り先生こと水谷氏は、教育は教育実践のみで成り立っていると勘違いしているのであろう。教育行政システムにも精通した教育評論家、専門家が必要だ。水谷氏に伝えたい。僕らも子どもの事を想って、教育政策を実行している。そこは水谷氏と同じだ。ただ考え方ややり方が違うだけだ。
  • t_ishin
    そうであれば、橋下は子どもの事を想っていないという決めつけは止めるべき。これを言った瞬間に議論は終わる。日本の子どもたちに必要なのは、相手の人格を決め付けずに、考えの合わない相手ともしっかりと議論する能力だ。水谷氏のように、相手の人格を決め付けるような子どもたちは少なくしたい。
  • t_ishin
    水谷氏が学校を回るのは結構だが、他人の人格を決め付ける子どもが増えないことを願っている。そのような子どもは佐野のような大人になる。人それぞれ価値観も考えも異なる。だから議論をする。相手の人格を決め付けない。もちろん人格も否定しない。議論で決まらなければ最後は多数決。
  • t_ishin
    http://t.co/EVZAGfPl 夜回り先生こと水谷氏は他人の人格決め付けではなく教育政策論を展開すべきだ。もし水谷氏が教育の分野で持ち上げらているなら日本の民主主義がまだまだ成熟してない象徴例だ。教育政策論ならいくらでも受ける。僕も子どもたちの事を想って市長をやっている






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