フェイスブックで多くの人たちにシェアされていた『原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone』と題された必見の動画を紹介したい。
放射線量は毎時2マイクロ・シーベルト、年換算で17.5ミリ・シーベルトで、ガイガーカウンターも故障してしまうほど放射線量の高い富岡町でたった一人で暮らす男性、松村直登(まつむら なおと)氏。一般人の被ばく許容基準、年間1ミリ・シーベルトと比べると、かなり高い数値の放射線量だ。
京都大学原子炉実験所の小出裕章氏も「日本の法律、それは米国でもドイツでもそうですが、1時間あたり0.6マイクロ・シーベルトを超える場所は放射線管理区域に指定し、一般人は入ってはいけないはず。放射線管理区域に入ったら最後、水を飲むこともできない。物を食べることも、本当はしてはいけない。そんな場所に普通の方が生活しているというのは、私から見れば想像を絶することです」と驚きを隠せないでいる。
しかし、そんなことは百も承知の松村氏は、医師から被曝のチャンピオンと呼ばれるも、病気が発症するのは、30年から40年先なので、その頃までには死んでいるからと高笑いをする。飼い主に置いてきぼりにされた家畜やペットなどの世話をしながら1人で気長に暮らしている。
原発が4基爆発したときは、一時両親と避難しようとした。父親の妹が南方に住んでいるので、その家でお世話になろうと思ったら、玄関先で「放射能しょってるから入らないでくれ」などと門前払いされ、しかたなく両親と共に福島に舞い戻った。
この動画を見て、とても複雑な気持ちになった。福島に残された動物の面倒を見ることは大切だが、このままこれだけ線量の高い地域に松村氏を住まわせ続けていいのだろうか。恐らく、これだけ線量の高い地域で暮らし続けたら、病気が発症するまでには5年かかるかないかだと思う。
まめな健康チェックと現地のものを食さないことが当面の課題と言えよう。
原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone
動画の概要:
By Tomo Kosuga
純白に透き通った頭髪は、日焼けした顔をよりいかつく見せる。垂れた目の奥には、映り込むいかなるものも逃すまいと黒光りした瞳がきつく構える。その反面、目尻に大きく刻まれた皺(しわ)からは、日頃から笑顔の絶えない人柄がうかがえた。「この町で生まれ育って53年。最期は富岡で死ぬしかねえべ」
2011年3月11日に起きた東日本大震災から、今日で2年が経つ。日本観測史上最大の大震災が呼び起こしたのは、誰もが予想だにしない事態だった。福島第一原子力発電所事故だ。この影響をじかに喰らった地域のひとつに、福島県双葉郡の富岡町がある。福島第一原発から20キロ圏内に位置し、今なお一定の放射線量を記録する富岡町。事故以来、町全域が立入禁止の警戒区域に指定された状態が続く。
その富岡町でたった独り、生きてきた男がいる。松村直登(まつむら なおと)、53歳。この地で代々、米農家を営んできた家系の5代目だ。「富岡町って小さいけど……」松村は語る。「自然には恵まれているわけよ。海があって川があって、山も近い。だから海で海水浴、川で魚釣り、山で山菜採り。今は、その全てができなくなったな」
警戒区域内での暮らしも早2年。ある時期までは区域内での自給自足が主体になってきた松村。これが意味するのは、この地で放射能汚染された野菜や肉、魚を摂取してきたという事実だ。問題は内部被ばくである。被ばくには外部被ばくと内部被ばくがあり、前者がその場限りの影響なのに対し、後者は体外排出されるまで被ばくが繰り返される。なかには化学的性質によって体内の特定組織と結合するものもあり、被ばく量が局所的に大きくなるケースも。たとえば放射性ヨウ素131は甲状腺に取り込まれ、甲状腺ガンを引き起こすことはよく知られる。
「俺はここで外からも(放射線を)浴びて、中からも(食べ物で)浴びてた。で、ジャクサ(宇宙航空研究開発機構)の博士が俺のことを調べたいと。だから検査してもらったんだ。そしたら俺はチャンピオンだって。チャンピオン。(受けた放射線量がそれだけ高いと)どうなるんだ?って訊いたら、病気が発症するのは30、40年か先だと。その頃にはどうせ寿命で死んでっから構わない」。その際、この地のものは一切食べないよう教えられたという。現在は、検査をクリアした湧き水と、外から届く支援物資しか喉を通さない。「セシウム入ってても味は変わんないし、ニオイもないから」
福島原子力発電所の4基が爆発した際には、南方を目指して両親と避難したものの、その先で「放射能しょってるから入らないでくれ」などと拒まれた。それならと両親を福島県いわき市に置き、単身で富岡町に帰郷。かくして警戒区域内で唯一の人となった松村。
過酷な環境下の富岡町に、なぜ彼は留まろうとするのか。理由があった。この地に取り残された動物たちを、彼は見過ごせなかったのだ。「最初は怖かったよ。放射能が巻き散ったと思ったから。そんで次考えたのが、ずっといればガンになんのか、白血病になんのかってことだった。でも動物とずっと一緒にいるうち、動物も俺も元気だし、大丈夫だっぺって」。現在の日課は、飼い主を失った牛やイノブタ、ダチョウの面倒をみることだ。
取材・撮影 Ivan Kovac & Jeffrey Jousan 文・構成 Tomo Kosuga
(後略)
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