Monday, August 10, 2015

戦後70年談話のあり方について小沢一郎が語る


生活の党と山本太郎と仲間たちより

「戦後70年談話」のあり方について(談話)

代表 小沢一郎

政府は安倍首相が8月に発表する「戦後 70 年談話」について、閣議決定を見送る可能性を示唆しています。閣議決定しないことで、談話を“私的” なものとしたいのでしょうが、そうした感覚は本当に理解できません。

そもそも、国政や外交に関して総理大臣が口に出したものは、私的も公的もありません。私的な発言だからといって責任を回避できるような性格のものではないのです。それにもかかわらず、なぜこうした姑息で卑怯なやり方をするのでしょうか。安倍首相は安保関連法案でも、国民の目を欺くような説明の仕方をしていますが、これは本当に為政者として恥ずべき態度だと思います。

日本は戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すのが当たり前です。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。

ところが、安倍首相は戦前の日本についてそれほど否定的ではなく、むしろ「戦争に突入したのは日本だけが悪いわけではない。そういう状況をつくったのは欧米列強だ」と考えているように見受けられます。したがって、日本人だけが、日本の指導者だけが国際社会で責められることに強い憤りを感じ、素直な気持ちで謝罪できないのだと思います。

しかし、軍事裁判という形を取って懲罰を課す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。

連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。しかし、安倍首相は当時の指導者に責任があることを認めたくないのだと思います。だから、ポツダム宣言にも、極東国際軍事裁判にも、そしてサンフランシスコ平和条約にも否定的なのです。

そんな気持ちで述べる戦後70 年談話ですから、たぶん意味不明なものになるのではないでしょうか。戦後の節目の年に政府が公式見解を表明できないのは、日本と日本国民にとって大変不幸なことです。その意味でも、現在の日本は非常に残念なトップリーダーを頂いていると言わざるを得ません。

日本は8月15 日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。70 年前の「敗戦」をしっかりと受け止め、認め、認識したうえで戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。

戦後、日本は民主主義国家になったと言われています。しかし、残念ながらまだまだ本当の民主主義は根づいていません。日本の民主主義は未だ幼児期にあり、だからこそ、戦後70 年を機 に日本に本当の民主主義を根づかせ、アジアの範となるような国になってほしいと思います。


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